辻が花 Tsujigahana

室町時代に隆盛を極めた縫締絞りをその主たる技法とした文様染め。
名称の由来は定かではない。 庶民の小袖から始まったと言われているが、後に秀吉等の武家に好まれ、高級品として一世を風靡するも、江戸初期により自由に多色を使い、絵画的表現が出来る「友禅染め」の出現により、衰退されたとする説が有力。

一竹辻が花 Itchiku Tsujigahana

「幻」(桜の精が作り出す幻の花)1976年、苦労の末完成した作品
「幻」(桜の精が作り出す幻の花)
1976年、苦労の末完成した作品

1937年、久保田一竹は20歳の時に出会った古の「辻が花」の小裂に魅了され、いつの日かこの染を復活させたいという思いにかられる。 その後、応召、終戦、そしてシベリアでの3年間に渡る抑留生活といった困難な時代を経、少しずつ「辻が花」の研究を開始。 1961年、現在の場所に一竹工房を開設し、ここを本拠地とし、本格的な研究に入る。 翌1962年、自身の創意工夫、「度重なる重ね染め・重厚な絞り・独創的デザイン及び色調」を基調とした作品を「一竹辻が花」と命名。 1977年、久保田一竹、60歳にして念願であった初の個展「久保田一竹展」が銀座ミキモトで開催。 久保田一竹が20歳で出会って以来40年、ようやく「一竹辻が花」を世に発表。 その後、国内外で多数の展覧会が開催され、「一竹辻が花」が開花。


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